効率、タイパ(タイムパフォーマンス)、時短。
今の世の中は、いかに時間をかけずに目的を達成するかという「最短ルート」で溢れてる。
買い物だってそう。
指先ひとつでスマホをタップすれば、翌日にはお気に入りの洋服が玄関に届く。
なんという便利な時代だろう。
そんな令和の爆速社会において、私は小さな時間を見つけては、細い毛糸と2本の針を手に取ってカチャカチャと音を鳴らしている。
1枚の洋服を編むのに、何時間、何日、下手をすれば何ヶ月もかけるのです。
編み物をしない人から見れば、きっとこう思うでしょう。
「……え、買った方が早くない?」と。
「買えば一瞬」の時代に、あえて数ヶ月かける怪奇
実際、過去に何度か直接言われたことがある。
「そんなに時間をかけるなら、似たようなのを買った方が安くて早いんじゃない?」と。
ごもっともすぎる「買った方が早い」という正論
これは、ぐうの音も出ない正論。ぐう、とも言えない。
確かにお金を払って買えば、その場ですぐに着られるし、すぐにお出かけもできる。
その「効率の良さ」は日常のオシャレを手軽にしてくれるし、私だって買った服で長年愛用しているお気に入りはたくさんある。
だから、効率や便利さを否定したいわけでは全っ然ないです。
それでも私が毛糸で編み続ける理由
しかし、です。
「買えば済む」という最短ルートをチラリと横目で見ながら、なぜ私はわざわざ細い1本の糸から服を作り出すという、気の遠くなるような作業に没頭するのか。
それは、私にとって「簡単に手に入るものに、あえて時間をかけること」これこそが、この上ない贅沢だから。
完成だけじゃない。「途中の時間」に宿る暮らしの愛おしさ
効率を追い求める世界では、「完成(結果)」だけが価値とされがち。
けれど、手仕事の世界はまったく逆のもの。

試行錯誤という”愛おしいまわり道”
1段編んでは「うーん」と首を傾げ、間違えてはほどいて、また編み直す。
そうやって少しずつ形になっていくのを眺める。
その試行錯誤のプロセス(途中経過)にこそ、ワクワクする気持ちや、壁を乗り越えた瞬間の達成感などの豊かさが詰まっているのです。
タイパ重視の世の中からは「無駄な時間」に見えるかもしれない。
けれど、その「無駄」を噛みしめてニヤニヤしている時間こそが、日々のセカセカした忙しい気持ちを落ち着かせてくれてる。
自らの手でつくった物にしか宿らない「愛着の正体」
そして、時間をかけて自分の手を動かして仕上げたものは、やっぱり特別。
既製品よりも大切に扱いたくなるし、袖を通すたびに「ここの色を編んでる時は、早起きして編み進めてたなぁ」なんていう愛おしい記憶まで一緒に着ているような感覚になる。
手に入った「物」そのもの以上に、「そこに注いだ時間と愛おしさ」を大切に育てる感覚。
これこそが、私が手仕事を手放せない一番の理由なのです。
タイパ社会で見つけた、私なりの「丁寧な暮らし」
「丁寧な暮らし」と聞くと、なんだか敷居が高くて完璧な世界を想像してしまうけれど、私にとってのそれはもっと泥臭くて自由なもの。
世間がどれだけハイスピードで走り抜けていこうとも、自分だけの「愛すべき非効率」をひとつ持っておく。
効率的な便利さに感謝しつつ、あえてまわり道をして途中の景色を楽しむ。
そんな「時間の使い方の贅沢」こそが、私の暮らしを一番キラキラと彩ってくれているのです。
さあ、今日も傍らで毛糸に戯れる愛猫と「非効率で愛おしい時間」へお出かけしてきます。

