「自分に丁寧な暮らしを。」
これを語る上で、どうしても避けては通れない道がある。
そう、私の恐るべき “過去の生態シリーズ”
前回は、ハードに仕上がった社畜魂と深夜0時の大盛りラーメンの話をしましたが、
今回は私の水分補給の驚くべき偏飲っぷりについて白状していこうと思うのです。
飲めない水、選ばない水
実は私は、昔から「味のない透明なお水」というものに魅力を感じることができず、好き好んで飲むことができない人間だったのです。
「え、お水?いらない、味しないじゃん」
当たり前である。
しかし、当時の私からすると『味がしないモノに、わざわざお金を払って飲む意味とは一体…?』と、本気で首を傾げていたのです。
みながお水を飲む中、私はいつだってスッキリシュワっと炭酸ジュース。
コーラではなく断然ジンジャーエール派。
あのピリッとした喉越しと甘みこそ、私の乾いた喉と五臓六腑を潤す最高の液体だと信じて疑わなかった。
結果、私の水分補給といえば朝から晩までジュースまみれだったのです。
健康を気遣った、当時の私のある選択
ジュースばっかりでは良くないことは、丁寧の「て」の字も知らない私でも薄っすらと分かっていた。
だから、毎朝仕事に行く前はコンビニで身体への免罪符のように“野菜ジュース”をカゴに入れていた。
緑の野菜がこれだけ入っているのだから、私のジュースまみれの身体も相殺されるだろうと本気で思っていたのだから、最高に滑稽。
さらに、透明なお水を手に取ったと思えば、何かしらのフレーバー(香料ってやつですね)がしっかりついたものばかり。
とにかく、私の記憶の引き出しをどれだけひっくり返したとしても
味のないごくごく普通のお水を選んで飲んだ記憶が、本当にびっくりするくらい見当たらないのです。
知ってしまった、甘いジュースの実態
「水分補給=ジュース」だった私が、どうして今、お水を美味しく飲めるようになったのか?
それは、自分に丁寧な暮らしを始めた当初にした、あるおぞましい実験がきっかけでした。
当時、何気なく耳にしたのが「白砂糖の依存性」についての話。
それを聞いた瞬間、私の脳裏には毎日のジンジャーエールや野菜ジュースがドタバタと走り回った。
(あれ?…私、これ完全にピッタリ該当してるのでは?)
一人こっそり嫌な汗が流れた。
胸騒ぎたがした私は、いつも飲んでいたジュースの成分表示を確認して
そこに書かれている糖分の量を、実際にお皿の上に盛ることにした。
サラサラと、お皿の上に盛られていく白砂糖。
…さすがの私でも絶句した。
目の前にあったのは、ちょっとした白い山だった。
私は毎日、この狂気的な量の砂糖を喉越し爽やかに胃袋へと流し込んでいたのかと。
その山のビジュアルの前にした時の恐怖たるや、今思い出しても背筋が凍る。
現実を目視したことで、私のジュースまみれの人生は強制終了を迎えたのです。
自分を労る練習がスタート
あの「白い山」を目の当たりにした日から、お水を飲む練習を始めました。
丁度その頃に出会っていた、身体を労る植物性ミネラルというものと合わせることでストレスなく水分補給改革ができたのが良かったところでもあります。
もし、昔の私と同じように「お水は嫌!ジュースがいい!」という人は
いつも飲んでいるボトルの裏側を、そっと覗いてみるのはいかがでしょう?
ちょっと背中がゾクっとするかもですよ。

